人生は減ったくりもくそもないのだ!

10月9日 水曜日 東京の天候 晴れ 最高気温26度の予報

今日は、【お暇】なので率先してブログを書こうと思う。誰でも経験があるかもしれないが、小説の執筆もそうだが、所謂、【お休み】をすると僕の場合、書けなくなる。

また、このブログでも何回も経験しているが、気が付いたら2か月間、4か月間ブログを投稿してなかったなんてざらにある。

今日は地元の創価学会の活動でいろいろあったが、創価学会、信仰ではない、組織として悩むワースト1位は何といっても人間関係の悩み事が第一位だ。

現実の話、僕は今も学会の組織内では人間関係に悩んでいるが、法の中での考えは別として一般的に思考するならば、【人間は生きていれば悩むのは必然なのだ!】と腹が決まれば心構え一つで悩む人間関係の距離感を縮めたり、緩和出来たりする。

まあ信仰者ならば、祈りや唱題を根本に物事を話せ! と、純粋無垢、順風満帆学会員ならば、人の悩みの重みもろくに考えもせずに発言しそうだが、学会員同志、所謂、信仰者間同志の中での悩みは、法が絡んでくるから厄介なのだ。

しかし、厄介と口にするが、真面目に実践して、ご本尊に生きるか死ぬかの唱題をこんこんとあげつづけ、唱題の中から頂いた沸きいずる知恵で悩みに対して行動を起こし、悩みに対して何らかの解決が見えたならば、それはまさしく功徳であり、見事に迷いの無明を打ち破り仏界の生命を体現した姿だと言える。

僕は、いつも思う。この世の中で一番素晴らしい人々は学会員であり、また一番冷酷なのも学会員だと思っている。

ごく普通に何事もなく、日々滞りもなく、学会活動をしている人はまず【冷たい学会員の姿や体質】をお目にかかったり実感することはないだろう。

しかし、何らかの拍子で、学会活動の中でつまづいて倒れそうになり、汚点のようなものを組織内に残すと、まるで手の平を返すように冷たく接するのも学会員の実態の姿なのだ。

この汚点の経験をしたものでないと学会員の冷たさが分からないのが本当の現実なのである。

僕は綺麗ごとを書くつもりはない。つくり話も書くこともない。書きたくもない。

世間の中で、【慈悲や慈愛】がぴか一溢れるのは間違いなく学会員だ。心暖かいのも学会員だ。

だが・・・。

僕はこれは長年思っていることだが、所謂、学会の中の活動家と呼ばれる方は、大なり小なり4者(壮年・婦人・男子・女子)を通して役職を持っている方が多いと思う。

だが、役職をもっていると人は悪い命と良い命がどんどんでてくる。

悪い命とは、まあ代表的なものにしておくが、役職が付くと、使命と闘いは本当に大変だが、周囲の人間が自分に対して【低姿勢】になるメンバーが多くなる。

解りやすく言えば、役職・責任職が付けば、みな自分より【上の者】と思う方が多くなるので、ここで悪い命がでると、【俺はえらい人間になったのだ!】と錯覚や勘違いを起こし、その貫禄と同時に威張り口調になってくる。

命が綺麗な・・・というか、信仰に対して純粋で求道心あふれる者は、いつも前向きで行き詰まりがなく、顔の相からして爽やかであり爽快だ。逆に悪い命のメンバーはどこか瞳が濁っている。またこの濁った瞳の人の祈りは快活ではなく、具体的な祈りでもなく、いつしか惰性の自分の信仰の姿に気が付かないメンバーが多い。このふたつの分かれ道が数年後、十数年後の自分の姿を決める因になっていく事を信仰者はしっかりと自覚しなくてはいけない。

あと、最近というか、ずっと前からも気になっているが、とくにツイッターがそうだが、御書の御文やご金言をツイートする人は別にいいとして、問題は、自分の感情の赴くままに、正しいと信じつつ、池田先生へのがんばってる決意ツイートを皆に垂れ流しのように流している人がいる。

また信仰の実践活動を感情の赴くままにツイートして心から気持ちよくなっているメンバーもいるが、もっと考えてほしいと思う。

まあそのメンバーのフォロワーは大概は学会員かもしれないが、唱題5時間しました、今日は6時間半上げられました・・・なんて元気いっぱいのツイートしてるけど、世の中には信仰の【猛者】という方がいて、時間があれば、日々9時間、10時間あげている人もいるのが実際の現実。

そんな人から見た【何も知らない】元気いっぱい5時間唱題上げて僕はえらいでしょツイートをする奴は、【バカ丸出し】なんだと俺は言いたい。

あとツイートで池田先生への決意ツイートをする者がいるが、軽率に【先生やります!】ツイートは、読んでいるだけで悲しくなる。

僕が思うに、本当の信仰の決意というのは、無言の実行の闘いだと思っている。

ツイートなんかしないで、現実の世界で、そして社会で、しっかり貢献して福運をつんで実証をしてもらいたいと思って日々僕はやまない。

まあこの僕が言っている発言は、何十年も信仰や活動に悩んできた者しかわからない現実の世界だと言えよう。

先日、ある会合でこういう発言をする人がいた。

座談会で、最初と最後の題目三唱をやらない座談会をつくりましょう! なんていいだしたある壮年の方がいた。

まあ、その理由の内訳は、本幹は題目三唱をしない会合・・・・という部分から地元座談会の題目三唱をすべて切って。新時代の会合の出現にしたいらしい。

まあ慣れればこれもありなのかもしれないが、僕は今日ある活動の中で大先輩にこの題目三唱を切った会合に今後しても問題はないか? を訊いてみた。

しかし、大先輩は言った。題目三唱は絶対にあった方が良いという意見というか回答をもらった。この方は、信心もしっかりし凄い信仰の体験を持ち歳をとっても純粋に学会活動で戦っている82歳の大先輩である。

また他の大幹部・・・これは、信頼できる幹部であるが、やはり題目三唱は外せない意見をもつ方だ。

まあ会合で、【辛く感じる】事は内容を濃くして時間を縮めなくてはいけないが、真実の宇宙の大法則を唱え広める団体がその法を会合から消し去るのはどうかと思う。

なんでも新時代だからやるんだ! やるべとやるべし! は間違いな誤認なのだと僕は言いたい。

だから、今まで会合運営時間は1時間に変更とはでたが、未だ題目三唱は切れ・・・とは言ってないのがこの理由があるからではないだろうか? と僕は思う。

まあ遠い未来は、題目のない会合ができるかもしれないが、今はまだ無理だと僕は確信する。

信仰していて、また信心していない未入会の人がこの学会の信心に注目するポイントはなにか?

入会を決意するきっかけは8割の方は説明された法を信じるというより、紹介者の信頼度が入会の決め手になるポイントだ。

僕は過去の折伏に関してはいろいろ経験したが、強引なやり方で入会に導いたメンバーもいるし、信頼度に関しては、本当に信頼してくれるのは、母親・兄弟の折伏で自分を信頼して入会してくれたメンバーは親族しかいない。

友人・知人は、折伏の時、僕の場合、今まではいい顔して友好を結んでいたメンバーが折伏をしたとたん、自分への嫌味な本音いうメンバーがほとんどだった。

自分を【嫌いだ!】とはあからさまにはいわないが、【世間がお前をこう悪く見ている】発言はくそのように言われ続けてきた。

そのたびに、ガラスのようにもろい自分の心は、深く傷ついてばかりいる日々が多かった。

信用、信頼していた友人が折伏をしただけで、手のひらを反す性格を露わにして自分から去っていくメンバーは本当に悲しすぎた。これが世の中か・・・とも思ったし、俺の友達は最低な奴ばっかだな・・・とさえ思ったが、なぜかこんなに友人に裏切られても、この南無妙法蓮華経の法だけは絶対に疑わないのが不思議だった。

傷つく事ばかり多くて、人間不信にもなったが、かと言って、裏切られるばかりで、燃えて燃えての折伏にはならない現実だったが、でもこの仏法を疑わなかったのが僕の良いところというか良い性質ともいえる。

あとこの学会の信仰をして、一番期待し意識するものはやはり、功徳があるかないか・・・ではないだろうか?

人間はやはり損得重視の傾向があるから、デメリットが多大にあるものは絶対に今の現代人は危険なモノには手を出さない。

僕がこの33年間、なんとか踏ん張ってこられたのも、功徳があると信じ、宿命転換できる、というのを信じ切ってきたから今までご本尊を信じられたのだと思う。

入会30年目にしてやっとご本尊の偉大さが一部なりとも分かっただけでも最高の功徳と実感できるようになった心の境涯こそ最高の功徳だと思っている。

また、昔は(笑)・・・宝くじは最高の大金持ちになれる手段だと思っていたが、我が受持するご本尊は、宝くじを当てた以上の、また万憶万倍の価値あるものを自分は手にしたと知る事が出来た自分に嬉しく思う。

何でも、自分のものにできて、なんでも祈りが叶う幸福製造機を自分の手に出来た喜びを実感できるのも自分の幸福境涯が上がった証拠・証明とも言える。

また、基本的に学会員は良い人の集まりと解った自分も凄いが、その凄い使命が自分にもあった、という喜びを知った時も嬉しかった。

信心してない人は、何言ってんのぅー・・・・マインドコントロールじゃない?(笑) なんて思うかもしれないが、世の中、悪いことが多すぎて、この信仰に巡り合うことも出来ず、信じることも出ない時が多いが、このブログを読む方々に言いたい。

世の中、悪いことも多いですが、正真正銘、自分の思いや願いや祈りが叶うものがあるのですよ・・・・と僕は言いたい。

世の中、変な新興宗教が増えて、【宗教なんてみんな同じじゃない!】なんて思うかもしれないけど、学会の・・・と言っておきますが、学会の日蓮仏法は本当に本物です。

本当に信じた者だけが、選りうる幸福です。

あなたの心にも、仏界の生命はあるのだとお伝えして、本日のブログを終了したい。

本当だったら、今回はもっと違う内容を書く予定だったが、フランクな流れで書きだしたら、すべて学会の良し悪しを書いていました。

確かに人間の集まりなので、学会の中にも【好きになれない方】もいるのは現実の姿ですが、しかし、ご本尊の偉大な功力・法力は本当に本物ですよ。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

By 題刻堂

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