慈愛の仏醜い仏はだぁ~れ!

10月2日 水曜日 東京の天候 晴れのち曇り 最高気温29度の予報

今日は本音の話ではない。人間がまともな人間、つまり慈愛溢れる人間になるための話である。

今日書く内容は読み方によっては批判的、怨嫉的、反逆的な印象にもしかしたら誤解を招くかもしれない。

しかし、僕は思う。正しい思想哲学を営む者が常識人ではないことに怒りさえ覚える。

実際には、現代に至ってもまだ正しい理解を求めることは不可能な段階に等しいのかもしれない。

法の下で、身・口・意の業でどうせ命に業が刻まれるなら、未来をよくするために、また常識豊かな信仰人を輩出するためにもあえて苦湯を飲もうと思う。

これはもう33年間ずっと思っていることだ。

30年前ならまだしも、未だに学会員の所作・素行には壮・婦・男・女・学の各部を通して納得できない事を思うことがある。

まあ、僕のこのブログや過去ブログを読んで直観的にピンとくる方もいるかもしれないが、僕は長年の創価学会員であり、もう長年の生活保護受給者だ。

また、エイベックスのBIGupを通して楽曲も世界に配信・販売をしている。

僕は、学会の入会当初から、心豊かで、誰が見ても常識人でありたいと常に願ってこの33年間学会を、池田先生を、そしてご本尊を信じ生きてきた。

生涯不退転の決意で人生を歩んでいるので特に思う。

こんなことを書くと、まさに信心がないようにとられるかもしれないが、僕は創価学会・創価家族は好きだが、組織と幹部が大嫌いだ。

幹部は、学会のそして広布の責任を担っているので、ある意味しょうがないと言えばしょうがない、と言えるが、だからこそ、信心していない外部の方には信用ある人物像にそして内部組織の会員の方々には慈愛溢れる会話や言動・行動をお願いしたいと、常に、今日のこの今のこの瞬間も思っている。

僕は33年間、今もかもしれないが信仰を通して自身に問い続けていることがある。

しかし、僕の悩みは組織の人間関係に悩む方は普通に思うことだと思うが、信仰を通し、法を重視して、愚痴を排し・・・・ご本尊対自分 自分対池田先生 を常に着眼をそこに起きつつ数ある組織上の陰口、怨嫉、などなどが友人・知人・仲の良い学会の幹部を通して自分に耳にその反対意見、反抗意識、陰口、妬み、僻みの噂話を聞いたとしてもそれを一切胸中に収め、ろうろうと題目・唱題に励み高い境涯でその陰口等を言っている人たちを慈悲の眼で見つめて、そして見守り何も言わず自身の眷属、宿業ととらえ生きていく生き方が正しいのかな・・・と思っている時期もあった。今も基本精神は変わらない。

また、信用置ける幹部に生き方や信仰の指導を求めていく求道の心も非常に大切になってくる。

今回、このブログを書こうという動機というかきっかけは、昨日(2019.10.01)に僕が悩む、生活保護受給生活の事でYouTubeの動画を一日見ていた。

まあ名前や地域名は控えた方がいいと思うが、ある男性の生活保護者のユーチューバーで動画の中で、こう言った発言があった。

「私は、働く意識がないので働かない。生活保護で生活して何が悪い・・・・」

発言をしていた。まあこの内容は普通の世間一般の方ならば・・・・

ふざけたことを言ってるんじゃない! 我々の働いた血税でお前は生活できているのだ。病気じゃなければ一刻もはやく働け!

という批判的発言が普通の感覚だと思う。当のユーチューバーのご本人は発達障害のようなのだが、こんな発言は、はっきり言って認めてくれないのが普通の世の中の感覚である。

また僕も統合失調症患者で今はかなり良くなったが、働けなくなり、今年で生活保護の生活は12年目に突入したばかりである。

そのユーチューバーさんの動画に寄せられるコメント・goodボタン・badボタンの数も考慮に入れて考えると、そのユーチューバーんの生き方に共感の声を寄せる方もいるがコメントの半数は「ふざけるんじゃない!」発言が多数だ。

そして、そのユーチューバーさんも過去動画を観るからに、そんな批判的なコメントもなんのその・・・・というような自身の知識をフルに使いまるで開き直っているような発言の動画もあった。・・・・ように印象付けられる動画も数多くある。

僕はこのオフィシャルブログの過去ブログ投稿にも書いているが、僕は生活保護を受けながら福祉施設の男子寮の寮生として約9年間生活をした。

その生活は悲惨なもので、寮長を含め職員も人間とも思わないゴキブリ以下の発言を暴言しながら自分たちを制する生活が9年間も続いて、つくづく生活保護受給者は最低でクズの集まりなのだと意識づけられるような発言の中で人生を過ごしてきた。

まあでも、この9年間は、施設職員や寮長にまともな人間扱いされないのも解るに解る。

まず基本的に、生活保護受給者になる時点で良い人間か悪い人間かの運命が分かれる。

日蓮仏法を学する信心のしっかりした人ならば、生活保護受給はすべてが諸天に守られていると解釈するだろう。

ちなみに諸天・・・生命論の話はここではさて起きにするが、当時の施設の男子寮に入居する寮生は本当にひどいメンバーの集まりだった。

まずまともな感覚の人は一切いない。路上生活者、アルコール依存症の人・薬物人間などなどまともな人なんて一人も9年間の中で僕以外の人は一人も入居してこなかった。

こんなメンバーの集まりだから、人間的に最低だとかクズと思われてもしょうがない。

人間が人間を尊重せず、畜生以下、または同等扱いせれる世界は、人間が生きる世界ではない、と思ってきた。

しかし、この9年間の施設生活は、人生に置いても信仰に置いても非常に意味がある出来事の人生なのには間違いない。

前置きが長くなったが、その昨日観た生活保護者のYouTubeの動画を観て思うことは、とにかく少し人生経験がたりないな・・・・と僕は思った。

僕みたいに9年間も人間扱いされない生活を経験すれば、まず開き直ったように印象付けられる動画はまずYouTubeにアップしなく、もう少し利口なユーチューバーになったと思う。

また話を軌道修正するが、僕は創価学会の壮年部員で、シンガーソングライターと今は少しの占い鑑定業で生活保護も受けつつ毎日を生活している。

ただ、問題は学会だ。

最初に誤解がないように書きとどめるが、創価学会は俗にいう間違いの宗教団体ではない。経験上、そして信仰を通して思うが、日蓮仏法の教義も絶対に間違いないと確信し、池田先生は我々を代表する確かな師匠であるとまず言い切っておきたい。

問題は、末端の信仰者の意識、感覚、偏見を思わせるような発言と意味ありげな偏見的行動が問題なのだ。

今年は統一地方選と参議院選挙があったが、僕は今年に入って、シンガーソングライターになった。

これは過去ブログには書いてないかもしれないが、若い20代の時はロックバンドを組んでオリジナル楽曲の作詞と作曲を担当していた事もあって、一応、自慢話ではないが、曲を書くのは得意だ。

そして統一地方選の時に僕が所属する学会の地区組織の中で問題が起きたのだ。

まあこれは僕にも落ち度があったことは認める。

僕は楽曲を世界で販売を始めたが、そのある曲に、婦人部の方の名字をタイトルにした楽曲を創り世間に発表した。

これが大きな嵐を巻き起こした。

そしたらそこからが我が学会生活の人生に運命的な分かれ道がやってきた。

本当ならば、シンガーソングライターとして世間にデビューし楽曲も発表し世界中にその婦人部の方の名前タイトルの曲が広まるまではいい。

しかし、それを学会の選挙戦の中である幹部の指示で発表する場面があり、朝の会合の集まりでその楽曲の発売を組織の中で発表したのだ。

本当ならば「デビューしたの!? おめでとう!」と言ってもらえるとばかり思っていた。

だが、それは180度違っていた。

ある婦人部が、「楽曲に婦人部の名字をつけるのはまずい。裁判になったらあなた負けるよ!その名字のタイトルを削ってサブタイトルだけにしなさい!」的な発言をされた。

正直思っていた。楽曲に人の名前をタイトルにするのはまずいのではないか・・・・と。

本当ならば、何も公表せず、黙って静かにライブでその歌を歌って自然な形で広めようと思っていたが、僕の運命なのだろうか、公の場で公表し、酷い批判的な発言を食らいに食らった。

僕はその批判的な発見にかなり傷ついた。

僕は学会の同志は・・・正確には活動家は基本的に皆良い人の集まり・・・・と思い込んで生きてきたので池田先生も言っている「太陽の婦人部」からの激烈な批判発言は強烈にものすごく傷ついた。

僕は根本的に学会活動の成果とか結果は別として、同志間の中では言い争いや批判的な発言は、一応仏法上、信心があるならば発言をよく考えるだろう・・・と思っているが、しかし、今回の引っ越し後の新しい地区組織は違っていた。

僕はこの批判劇からだいぶたって悟り理解したことだが、すべてはみんな自分の眷属。

よーく考えれば、先ほど話した施設生活9年間の最低な人間関係の生命状態がただ続いてると思った。

ましなのは、まだ信心していて一応、まっとうな信心の見方ができる心がある・・・というだけの話だ。

世間は冷たいと思っていた。創価家族は暖かいメンバーの集まりだと思っていた。

しかし、僕は生命境涯的に最低な組織に引っ越してきたんだな・・・とやっと自覚した。

またこれも思ったが、引っ越し後、仲良くなった一応信頼している大幹部も、あるとき、僕との深いつながりにその批判的な発言をした婦人部から電話攻撃で激烈な僻みを言われたという話を電話で聞いた。

そして、その幹部は言った。「私の名前は組織内で出さないように。相手に与える影響が大きいんだよね・・・・」と言われた。

僕は直感的に思った。僕は人間の感情の機微には非常に敏感な男だ。

この幹部も僕の盾にはなってくれない人だと直観的に思った。この幹部も大きく言えばある意味個人的に信用できないな・・・・と思った。

まあようするに、完全に組織内では孤独でひとりぼっちだと確信し自覚した。

最近では思うことが沢山ある。

生命境涯的に最低な集まりの組織の中で、僕が生活保護受給者だということは地区幹部またそれに属する幹部はみんな知っている。

私が所属する壮年の地区部長はあるとき、僕が悩みをもっていて指導を受けようと僕の自宅に来てもらった時がある。

その指導の最中に、変な話の流れというか生活保護の話になって、変な嫌味な含み笑いをされてこう言われた。

「一旦生活保護を受けると中々そこから抜け出せないんですよねぇ・・・・」と。

まあその発言を聞いたときは、ちょっと嫌な感情が宿ったが、いろいろ思い返し、まあ世間一般の考えだよな・・・と自分に言い聞かせてその場はしのいだ。

話はまた前に戻すが、その批判的な発言後、僕は正直、音楽に専念したかったので、また僕は組織の中で役職はなくぺーぺーの平の壮年部員なので、仕事上の都合で・・・ということで選挙戦の只中だったが、3か月ほど組織から身を引いた。

しかし、これがまた輪をかけて組織の婦人部に悪い印象を与えてしまった感がある。

つまり、そのある婦人部の批判的な発言の為に僕は【退転】をした傾向があるのだはないか・・・と婦人部に印象付けた感がある。それが今は婦人部間との無言の大きな溝となっている。つまり婦人部に信用・信頼を失った感がある。

参院選の投票日からまた組織に復帰したが、婦人部の空気は激烈に重い。

また最近は、座談会の司会も僕にふってこない。僕もあえて率先して座談会の司会をやらしてくれとは言わないが、あきらかに婦人部サイドから僕を避けるような無視を受けてしまっている。

婦人部とのラインにしてもそうだが、メッセージを投げても既読にもならなく一切連絡が通じない形になった。

ある意味、3か月間の組織のお休みは、婦人部から婦人部から信用を失ってしまったようだ。

僕も人間というか凡夫なので、協議会に参加してても僕以外はみな幹部。

そしてみんな僕が生活保護受給者だと知っている。

先日、協議会で座談会の運営の事で種々協議をしたが、僕も発言はする時もあるが、人間的に信用されていないためか、壮年の地区幹部から僕の発言に対して変な含み笑いをされたことがある。

当のご本人は何も思っていない含み笑いかもしれないが、僕にとっては自信と生きる希望がどんどん失せる含み笑いであることは間違いない。

同志とのつながり、仏法でのつながりは世間の何倍も重い信頼なのだ。

人間革命、宿命転換、いろいろな仏法上の教義から考え、愚痴を控え、ストレスを貯めに貯めながらも黙ってその信用がない組織の中のムードの中でじっと耐えて会合に参加するのか、それとも素直に辞退するのかを今はたまに考える。

また先ほども出た信用していた幹部からよくシンガーソングライターの話がでるが、会合で会うたびに「仕事はどう? 順調? 音楽はどう?」と聞かれるが、はっきり言ってやめてもらたいたい。

その幹部はアーティストとして人気や楽曲の売れ行きの情報が欲しいのかもしれないが、僕には重い荷物的な質問でしかない。

そんなになんでも祈ってヒットしたらアイドルやスーパースターなんてこの世にはいらない・・・と言いたい。

僕も祈りの中で、妙音菩薩として、シンガーソングライターとしてまたアーティストとしてヒット曲が生まれ人気が出たら、「組織で歌って!」との要請があったら阿修羅の如く組織内を駆け回り、人材育成のお役に、そして広布のお役に立ちたいと思う次第である。

僕は思う。池田先生が「太陽の婦人部」と言っていても、悲しいくらいの印象が悪い婦人部もいるのだと思った。

あと、幹部はやはり好きになれない。人間性でお付き合いはするが僕は心底信じることができない。

幹部やみんなの命の底辺には、どうしても振り払えない重い・・・【生活保護受給者】という世間的に厳しく批判され厳しく評価されるレッテルを抱えているからだ。

悲しい現実だ。

今日は学会組織の暴露ブログではない。

あくまでも、醜い人間の命の話をしただけの内容だ。

だから、命が醜く汚れに汚れている末法なんだけど・・・・。

最後までこのブログを読んでくれてありがとう。

また折りあるごとに書いていきたいと思います。

By 題刻堂

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