僕の人間の証明

10月2日 水曜日 天候 晴れ のち くもり 最高気温29度の予報

今日はブログを始めて、初めての一日に二回目の投稿をする日となった。

今日のこの投稿ブログは【人間の証明】というタイトルで投稿したい。

昔、作家・森村誠一の本で有名な「人間の証明」という本があり映画化にもなり大ヒットになった。

有名なセリフは 「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね・・・・」という知ってる方は知ってる有名なフレーズがある。

もう終わりにしようと思った。

いつまでも20歳の時の思いをいつまでも引きずり続けて生きてはいけないと思った。

俺は悪い人間で、親父に似て怠け者で、この54年間縁する人に嘘を沢山ついてきた。

もう自分のやったすべてを世間に白状して楽になり、自分のやった罪をつぐないたいと思った。

ただ断っておくが罪を償うと言っても殺人とかそう言う罪ではない。自分がやってきたいけない事で人様に顔向けがたたない罪を今日は一切合切白状して20歳の大罪の家出で家族を見捨てた罪を今日はこのブログですべてを公開して、今まで生きてきてやってきた人間として恥ずべき罪をすべて隠さずお話ししたい。

この仏のような気持にさせてくれたのは、前回のブログで書いた生活保護ユーチューバーの方を観て、直観的な【自分と同じ人種】を見た気がしたからだ。

自分は基本的には【怠け者】だとは自覚して認識もしている。ただ、自分ではどうにも出来ないものがあり、この命を切ってくれる刃物がなかった。それが、昨日のユーチューバーを観て、確かにあのユーチューバーの方が10歳くらい若く、40代で法律というか、生活保護に関してなのだろうけど、法律に強いのは向こうの方が上だが、生命境涯は自分とまったく同じ眷属を初めてみて、初めて自分の過ちを気づかさせてくれる人物にであった思いだった。

なので、ある意味、運命的に【時】が訪れてもう一切を白状して終わりにする時が来たと確信した。いつまでも昔の20歳の家出の宿業に縛られてはいけないと初めて気づかされた。

まず、俺は、ある決意をしていることがある。それは自殺するかもしれない動機と因を持っている。

自殺と言ってもすぐには決行しない自殺だ。

自分は日蓮仏法を信仰して、ご本尊に広布の闘いと不退転を誓った。

もし、魔に信心を破られて自分が退転し惨めな思いに食いつぶされるならば、首の動脈を切って死ぬ決意でいる。これは学会の幹部は知らないが、仏壇にいつでも腹を決められるように小刀を仏壇に忍ばせている。しかし、この状態に陥らないためにも、何があろうと、たとえ、皆から邪険にされ学会の組織でひとりぼっちの孤独になろうとも俺は一人でも広宣流布を死ぬ瞬間まで戦う決意でいる。

なので結論からして、この小刀を使って自殺する時はまだまだ訪れないと思う。
信心が強盛でしっかりしていれば・・・の話だが。

俺は、人様に頭を上げられないほどの罪を感じる悪いことをいくつかこの54年間の中でやった記憶がある。

自分が親を大切にしなければいけない、と学んだのが日蓮仏法の御書からだった。

俺は、だらしない生き方をする親父がたまらなく嫌いだった。

高校生の頃、自分の意識の中で何回か親父の事をイメージの中で叩きのめし殺した記憶がある。それほど大嫌いだった。まず嫌いな理由は、怠け者。仕事に数日通勤しても5日と経たないうちに2週間、3週間とずる休みをして、家で酒を飲みゴロゴロと横になって、母親と生活の事で意見が分かれれば、親父の気が済むまで夫婦喧嘩をしておふくろの髪の毛をわしづかみにして玄関外まで引きずりまわして近所迷惑な夫婦喧嘩を何回もやってきた。

挙句の果てに俺が高校卒業の頃、サラ金11社に借金して「おれは関係ないねぇ・・・」見たいな顔で毎日を過ごす親父が俺は殺したいほど憎くてしょうがなかった。

だから俺は決行した。昭和60年8月12日の夏、俺は人生大一番の勝負に出で親父を俺の中から切り捨てた。結果、家族まで捨てる結果になった。

8月12日というと忘れられない悲劇は、日航機が墜落したあの大事件の日に俺は同じ時にして家出をした。次の朝、家出して引っ越ししたアパートの自分の部屋のテレビでこの飛行機墜落事故を次の日に知った。遺族の皆様には心よりご冥福を祈りたい思いでいつもいっぱいである。

毎年この日が来るたびに墜落事故の惨劇とともに思い返される日々の中で、毎年毎年俺はこの事件とともに家出して捨てた家族を思っていた。

しかし、俺はまるっきり家族を捨てたわけではない。親父の借金を返すつもりで懸命に働き金を貯めて家に戻ろうと思っていたが、その決意は実現できなかった。しかし、10年後、結婚している時期に親の元には戻ったが・・・。

俺は家出した次の年の昭和61年に創価学会に入会した。入会のきっかけは当時付き合っていた嘘偽りのない絶世の美女の彼女がたまたま学会の女子部だったために当時、衆参ダブル選挙で公明党というか学会の決起大会に連れていかれ、そのままとんとんと入会まで流れが運び無事信心・・・となるのだが、家出していることはこの時、絶世の美女の彼女も学会組織の幹部も誰も知らなかった。

俺は男子部時代、組織のメンバー(幹部も含め)徹底的に嘘をつき通してきた。折伏は現実の中でガンガン男子部時代、幹部の叱咤激励が怖くて怒られる前に率先して友人を折伏しては本尊流布をしたが、信仰の体験発表は嘘八百な体験発表を何十回と男子部時代やってきた。この時点でいずれ仏罰は決定だと確信している。

会員に嘘の体験発表いかにも現象が起こったかのように話、話し終えるたびに家のご本尊に謝罪の題目をあげる毎日だった。

学会員に家出のことは一切秘密にして活動を続け、27歳で結婚した。36歳で離婚に至るが、このころ、パソコンが普及してインターネットが普及し始めたころで、よく妻に隠れて出会い系の掲示板にメル友募集を書き込みして、出会った相手のメル友女性とよくホテルにも行ったし彼女の家にも宿泊した経験がある。つまり俺は妻に隠れて数人との女性と浮気をして肉体関係も結んだ。これが、第二の大罪だ。しかし、離婚時、妻もホストクラブの男と浮気をして、自分の大罪をたなにあげてそれをきっかけにうまい具合に協議離婚をした。

そして、ここからが俺の人生の失望がさらに深まり始めるのだ。

俺は学会の男子部部長になって、大きな借金をした。これはサラ金も含める。男子部時代の親友がやはり酒浸りの酒大好き人間でフィリピンパブに行くための金を用意するために俺もだが欲望の為に借金をする羽目になった。

親父のサラ金地獄を知っているくせに、自分の宿業には勝てなかった。

そして借金が膨らみ、返済に首が回らず、自宅の電話にサラ金会社から日っきり暇なしで取り立ての電話の嵐の生活にとうとう自分の精神はおかしくなってしまい、毎日が恐怖感でいっぱいで男子部の闘いどころではなかった。それを当時の男子部本部長が現状を知ってしまい、当時のやくざ上がり圏(ゾーン)男子部長が自分を部長からというか、組織から下ろし学会活動しなくていいから借金返せ・・・の指導でさらに失望の地獄へと落ちていくのである。

俺は、借金で自己破産を経験している。みなフィリピンパブへ行くための借金だ。

38歳のころ、物凄い太った(デブとは言いたくない)女性と交際した経験があるが、ここで初めて自分に貢ぐという女性と出会ってしまったのがこの超太った女性だった。この女性は、俺に働かなくていいと言った。生活はこの彼女の稼ぎで1年と次の年の夏まで俗にいうヒモのような生活をしていた。

この女性のキャッシングカードも俺は湯水のように金を引き出してフィリピンパブ、韓国パブに行った記憶がある。そしてその太った女性と交際してから次の年の夏、その時期、自分も、こんな生活はいけないと思いつつ、日払いの夜勤の仕事を始めたが、8月の15日の朝、帰宅したので彼女のアパートの部屋の玄関のドアを開けたら、彼女は玄関先で倒れて死んでいた。

トイレから出た瞬間にクモ膜下出血を起こしたのか、下半身の下着はずり下がり局部が丸出しのまま倒れていた。目は見開きこの時、初めて身近な人の死というものを経験して、この太った女性との同棲生活はピリオドを打った。

この彼女の葬儀には自分は出られなかった。彼女の両親が葬儀には来ないでくれ、といわれてしまったからだ。

俺は、亡くなった彼女のキャッシングカードで金を確か64万ほど湯水のように使った記憶がある。大罪3つ目の大罰もらい決定の瞬間だ。

ここから俺の人生失望劇というか、社会不適格人生の始まりなのだ。
俺は39歳の時、つまり太った彼女が亡くなった約2年後まで某配送センターの夜勤仕事を続けていた。

だが、俺には人生最大の壁というか宿業があった。それは朝起きられない現実。

つまり夜勤なので夕刻起きられない現実、目覚まし時計をいくつも時間をずらして鳴らしてもまったく起きられなく、酷い時には、18時間とか平気で惰眠して、夜勤が終わる朝方に目が覚める起床が何度もあった。

自分だってダラシナイ男だが、常識くらいはある。会社に休んだ理由を電話連絡を入れなくてはいけないのに、俺は勇気がなかった。まさか、会社の仕事が終わる時間ごろに電話して、「すみません・・・・今日仕事休みます」なんて電話は死んでも入れることができなかった。これには、恥さらしの念も強かったのかもしれない。

そして、どんどん起きられない日が何日も続いたころ、俺は悩み過ぎてとうとう精神が壊れた。

何度も何度も仕事が終わるころに目が覚めるので、電話が出来ない日が続いたら、仕事なんてどうでもいいや、と思ってしまった。

このまま電話しないでどんどん無断欠勤して、やめればいいや的な、絶望感と失望劇が始まった。

日払いの仕事だっので、その日暮らしの生活に金もなく、家賃、光熱費も払えないところまで追い込まれた。

その当時の俺の心を唯一癒してくれたのが、パソコンであり、当時のまだあまり進展的でない初期の頃のインターネットだった。

もう金もなく、どん底だった。頼るのは神頼みではないが、ご本尊にひたすら助け船の唱題をした経験がある。

その時、奇跡を呼ぶ女神が俺の前に現れるのだ。

そう、忘れもしない、20歳の時に家族を捨てた妹(長女)が何をどう調べたのか、突然俺の当時のアパートを訪問してきたのだ。16年ぶりくらいの妹との再会だった。

精神が壊れ、失望のどん底での再会だったのでその時は衝撃的な出会いの幕開けだった。

ただここから、俺のさらにダラシナイ怠け者の宿業が飛び散るのだ。

16年ぶりの再会の妹が、俺の家の未納だった家賃、光熱費を払い、また嬉しいことに失業したならば東京の私のアパートに一緒に住もうよ・・・ということになり、引っ越し代も全額出してくれて、俺は無一文だが、妹が全部引っ越しの金を出し、無事に40歳の時に東京の国分寺に住むことになるが、しかし、この時、妹はすでにある男と同棲中に他の空いてる部屋に自分を向かい入れた結果になり、自分もすべて無料で生活できるので妹の彼氏がいようと別に気にもしなかったが現実には、この彼氏である男もあまりいい経歴の男ではないと後から知ることになる。

妹、彼氏、自分と三人で生活して数年の月日が経ち、俺が42歳の時、また悲劇が始まった。統合失調症を患うのだ。ぐーたらな働かない生活をしていて1年半ごろの時期に突然頭の中で【悪魔の声】が聞こえるようになった。幻聴だ。最初は気にもしなかったが、あまりにも【悪魔の声】が聞こえるので妹に相談したら、それは統合失調症かもしれないと言われた。この時、初めて同居中の彼氏も統合失調症の男だと初めて聞かされる。

42歳の夏、妹のアパートから少し距離がある精神科病院に行き、問診を受けた。
数日後、担当の医師から間違いなく統合失調症であるとこの時診断が下りる。

だが、ここからまた僕の不幸の試練の連鎖が始まるのだ。

自分は無職で統合失調症になり、妹がすべて通院費を出していたが、この戦いも時期終わりを迎えることになる。妹の貯金や生活費や所持金がだんだん底をついてくるのだ。

実は、一番のネックだったのが、妹の同棲中の彼氏も失業者で自分も無職で失業者。

つまり妹は、二人の男の無職の男どもを女手一つで養っていたことになる。

そして悲劇がさらに始まるのだ。

統合失調症の薬を飲み続けて、だらーんとした無職の生活の中、ある日妹から、生活保護を単独で申請してくれとお願いされる。

その時の妹の言い分は、同居中の彼氏と籍を入れることにしたので、引っ越して新婚生活を始めたいから俺は新居に連れていけなく養えない・・・だから役所いって保護の申請をして・・・と言われた。

俺はそれを聞いてショックだった。実は俺は、人生の中で生活保護だけは絶対に受けないと心に固く決めていた。どんなに人生が落ち込んでも生活保護のご厄介は嫌だと思ったが、現実はそんなことを言っている場合じゃなかった。

一応、最寄りの役所の福祉課に行ったが、俗にいう役所からの水際作戦を3回食らった。

俺は絶望した。生活保護すらも受けられないほどの人間なのかと精神と意識が変になった。

失望の毎日で朝起きて頭にひどい寝癖があっても何も気にしない自分へと精神が壊れていった。

妹は結婚して新居で暮らし、俺を生活保護で他のどこかの施設におくりこもうとしていた。

そして生保への煮え切らない俺の気持ちに妹の堪忍袋が切れたのか、妹自ら市役所に行って、俺の生活保護の申請を申し込んで・・・というか、申請に行く日の確約を福祉課から勝ち取ってきた。その日が、なんと妹の引っ越しの日だった。

午前中に市役所に妹と俺が二人で行き、妹と俺が市役所に行ってる時間帯に彼氏が部屋の荷物を引っ越し業社のトラックに荷物を運ぶ・・・という段取りで流れが進んでいた。

午前中に役所での生保の申請が滞りなく運び、彼氏の引っ越し作業も無事に終わったところで、さあ引っ越しの移動となる訳だが、行きは俺を市役所が指示を出した施設への送迎だった。

今でも忘れない。外は土砂降りの雨の中での引っ越しとなった。

俺は、東京都 国立市(くにたちし)の施設の寮へと引っ越しになった。

妹は別れ際、俺と目を合わせることもなく引っ越しのトラックに乗り込んで新居へ行ってしまった。妹は最後の方の生活は、無職の俺を養うのが相当苦しかったのだろうと想像している。しかし、【生かしてくれた恩】は絶対に忘れない。

土砂降りの雨の日、俺は施設で寮長となのる人物から面接を受けたが、面接官は寮長と施設を総合的に管理している本部の職員も一緒だった。

ここから俺の地獄の9年間の闘いが始まるのだ。

始まった初日の寮生活は最低だった。4人部屋の相部屋で部屋の寮生はまったく俺と話をしなかった。最も俺自身も精神が病んでいたので、よろしくお願いいたします、の挨拶もしなかった俺も悪いが、この日の夜、俺は寮生から初めて【いじめ】を受けることになる。

夜は部屋を仕切る一人の男が長時間俺を椅子に座らせ、いろいろと尋問された。

尋問の質問の内容はもう忘れたが、一筋縄ではない男たちが住む施設だと直感はできた。

入居してから1か月間は誰とも俺は話さなかった。挨拶すらもしなかった。根本的に反りや馬が合わない連中と話すらもしたくなかった。なので孤独に部屋の中で村八分にされようが別に気にもしなかった。

俺は一か月間、食事、トイレ以外、ベッドに寝続けた。
そこでまた問題起きた。入居してから1か月間風呂に入らない生活をしてたら、とうとう初日俺を尋問の処刑をした男がうだうだ言い始めた。

だが、風呂に入らないもっと根本の原因があった。これは俺も困っていたのたが、お風呂セットが一切なかった。所持金もなく、髭剃りやせっけんシャンプーもなかった。そしたら部屋の年配者が初めて俺に声をかけ、髭剃りと固形石鹸をくれた。あと石鹸箱も。

そして入居して一か月後に初めて風呂に入れることになる。

引っ越し当日、妹は俺に金をくれなかった。妹も所持金が底をついていたのだと思う。
俺に持たせた引っ越し荷物は、バスタオルとマグカップ、そして、数日分の着替えの衣服と当時使っていたノートパソコンとお巻きしたご本尊だけだった。

当時の自分が所持していた自分の家財は妹が管理し、生活保護を受けて2か月後にすべて役所が家財を処分した。

しかし、俺は、ご本尊だけはお巻きはしているが命がけのお守りの生活に入った。

施設の男子寮に入居して、9年間精神的にも地獄の生活をしてきた・・・。と同時に働く意識もなくなってしまった。

施設の寮長やNPOの本部職員は、人間扱いなんてしてくれなかった。寮長の寮生に対する暴言なんて日常茶飯事で畜生以下の存在のような生活を俺は9年間強いられてきた。

入居7年目で二型の糖尿病になった。糖尿病を発症して分かったのが精神科の定期採血の中で血糖値が高く糖尿を発症していると判明した。

施設の地獄9年間生活の中で、精神科にこつこつ通院し少しづつ統合失調症を治してきた。

だが、この9年間で俺の怠け癖とも言うべき、【働く意識がない自分】の心は大きく定着し働かない生活が普通になってしまった。

9年後にやっといろいろな手段を使って念願のアパートが借りられ、退寮へとの運びになるが、俺の引っ越しというか新居での最初の仕事はお巻きし続けたご本尊のご安置だった。日々の勤行はお守りご本尊で勤行していたので信仰心は失せなかったが、本当に地獄の寮を出られた引っ越しの喜びは今でもあの心境と歓喜は忘れられない。

今は新居から新しい人生の出発が始まった。
学会活動でのいろいろな大きな悩みは本日、初回のブログ投稿で書いた通りだ。

今、シンガーソングライターとして人生を歩き始めたが、学会幹部には言えない悩みがまだまだある。嘘をつかないとうまく流れを持って行けない出来事もあった。

今は、陰ながら自分に日々題目を送ってくれている幹部、期待を寄せる学会員の為に、早く楽曲をヒットさせてビックな男になりたいと思う次第である。

前回のブログと冒頭にも書いたが、先日観た生活保護者のユーチューバーはまるで自分を姿を鏡で映したように思える人物だった。

初めて【自分と同じ人種】に会った・・・・と思った。

20歳で家出をして家族を捨てて現在の54歳に至るが、一応、中盤で書いた実家の両親とは再会できた。一応、家出の事は両親と妹たちには深く謝罪をした。大嫌いな親父は、少し真面目な男になっていた。一番下の末っ子の妹は、立派な大人の女性になっていた。

しかし残念なことは、16年間くらい家出していたわけだが、16年も妹と離れていると、再会してもほとんど他人のような感覚だった。妹もしかりだが・・・。

一番下の妹はまだ幼稚園の時の家出だったので、俺の顔も思い浮かべる事が出来ないのが現実の姿だった。

この34年間、そして学会入会信心して33年になるが、時代は本当に変わった。

ただ今思うことは、もう過激な肉体労働はできないと自覚している。

また肉体的にも、もう30年以上、マラソンや全力疾走なんてのもしたことない。

中年で、下っ腹も出た。そんな中でのシンガーソングライター・・・・。

まず、肉体改造の減量と早くLiveをやらないといけないな・・・と思っている。

今、外国に行きたいと願っている。良いミュージシャンと出会い、ロスアンゼルスでレコーディングしてアルバムを発表したいと思っている。

今は、エイベックスのBIGupからの発売だが、早くCD化できるような楽曲に出会いたいと思う。

本当の腹のうちの話をすると、俺はもう中小企業で働こうとは思っていない。

歳も54歳。仕事を探すといっても簡単には見つからないし雇うところも少ないだろう。

それならば、遅咲きだが、自分の才能に賭けた人生をずっと生きてみたいと思っている。

50歳代デビュー、お前頭オカシイいんじゃないの? なんておもわれるかもしれないが、やってみる挑戦と価値はあると思う。

今日は俺の秘密をほぼ98パーセント公開できた。

気持ちとしては、精神的に楽になりたかった。

今まで嘘をつき通してしまった同志には必ず謝罪を含める人生勝利のご報告でがんばりたい。

今の組織のある一部の幹部にも僕はいろいろな事情から嘘をついている。

もう、20歳での精神的時間の停止はおしまいにしないといけないと思った。

もう脱皮しなきゃね。今日はやっと肩の荷が下りた感じがあります。

今回は長いブログの文章になりましたが、人間の人生にはいろいろあるのです。

確かに生活保護は、国民の汗水たらしてがんばった血税です。だから生活保護者のバッシングの風当たりも強いし酷評も多いと僕は12年間の保護生活で学んだ人生論です。

生活保護は素晴らしい国の保証制度だと思います。こんな怠け者の俺を12年間も生かさせてくれました。

僕は・・・これは大人になってからの話ですが、もちろん、殺人、強盗傷害、窃盗などの犯罪はありませんが、嘘は平気でついてきました。また嘘をつかないと生きてこられませんでした。

世の中、嘘も方便とはよくいいますが、取り返しのつかない嘘は自分の首を締め破滅に追い込むのだと皆様に言いたいです。

僕は破滅すれすれのところの嘘をつき通して今まで生きてきましてた。

嘘に良い嘘もあるかもしれませんが、大半は、反省の念が絶えないものばかりの嘘が大半が世の中の次元の世界です。

今回は長い文章になりました。

お付き合い願い感謝してます。やっと過去の罪が消えたような気がします。

これからは立派な男になっていきます。どこかの場面でもし僕が歌う楽曲が流れたら、皆さん応援してくださいね。

人間の証明・・・・終わり。

By 題刻堂

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