間違っていることを正しいとは絶対に言えません。

10月18日 木曜日 東京の天候 晴れ のち 曇り 最高気温21度

今日は、スッキリしているような冴えないような変な一日だった。

この原因を作ったのが本日の朝の起床時だ。

目覚まし時計は予定通り、朝の5時にアラームが鳴ったが、アラームのスイッチを切って不覚にもまた寝てしまい次に目が覚めたら朝の7時だった。

確かに僕の場合、朝の7時の起床でも何も問題ない生活だが、意識の中で2時間の寝過ごしをしていると思うと何かすっきりしない。生命とはいつ考えても不思議だ。

やはり、生活のリズムを作るのは朝に勝たなくてはいけないとつくづく実感する。

最近、僕の友人である友達が宗教、つまり信仰者だという事が先日の日曜日に発覚した。

発覚などと書いてしまうと、大事件のように聞こえるが、僕にとってはその友達が信仰をしているというのが、ちょっと驚きだった。

その友達は年齢は今月の誕生日で58歳の人で付き合って、正確には友達付き合いが始まって今年でかれこれ8年になる。

僕は高卒だが、彼は大卒で慶応卒の人でかなり・・・いや、物凄く頭が良いと僕は認識しているが、僕は高卒だからとか大卒だからとか、そういう偏見な考えで友達と交流はもってない。

あくまでも付き合う基準は性格の良し悪しのオンリーだ。

頭が良かろうと悪かろうと、性格の悪い奴は最悪だ、と長い人生生きてきてそう思うのが常だ。

ただ、その慶応卒の友人は、嫌みには聞こえないが、はっきりと自分でも言っているが『僕は学生の頃から成績が抜群だった』と、自慢げに言うが嫌みっぽく聞こえないのが本人の性格の良いところだろう。

会話の話術の良し悪しもある。つまり自慢や威張るように聞こえないから不思議だ。

今月の10月13日は、その慶応ボーイの誕生日で、14日に僕の主催で誕生日パーティーをしてあげた。

まあ、パーティーと言っても、回転ずしをたらふくご馳走しただけだが。

二次会は、地元のファミレスでおしゃべりタイムをとった。

そのおしゃべりタイムの中で、その友達である慶応ボーイがキリスト系の信仰者だと知ったのだ。

宗教団体名はここでは控えたいと思う。はっきりと名称を出すと問題かもしれない。

まあ、宗教と言えば、僕も仏教ではあるが、信仰者である。

宗派は違うが、その信仰者同士で14日の日曜日に、【宗教の話】を二人でした。

僕は、その慶応ボーイには、よく自身のやっている宗教の話をしていた。

していた、と言うのは、前は僕も寮生活だったのでその友人とは寮生同士の仲で、寮の中では一番の仲良しだったからだ。

だが、僕は仏教の信仰者だと彼には話をしていたが、慶応ボーイの彼は、自身の信仰を一回も僕に話してくれたことはない。

僕はいつも思っていることだが、宗教でも教義的に正しく、実践でも結果が出てその人が幸福になるのなら、相手に勧めるのもそれも僕と彼の人生だと思っている。

なので、14日のファミレスで僕は慶応ボーイに言った。『俺の仏教やってみない?』と・・・。

そしたら、初めて彼は見せたこともない苦渋の表情を作り、初めて彼自身もキリスト系の宗教を信仰していると僕に吐露した。

まあ、それを聞いて、強烈に驚きはしなかったが、勉強ができ、そして知的財産も高い彼が、その聞いた宗教を信仰していると聞いて耳を疑った。

ここでは出さないが、宗教名はすごく有名な宗教団体の名だった。

ただ、その宗教団体は、世間ではあまり良いイメージはない。どちらかと言えば玄関先で【即お断り】する宗教団体だ。

僕は、彼からその信仰者だと聞いて、最初は僕は彼が【嘘】を言ったのではないか、と思った。つまり、僕が仏教を勧めたのでそれを断る理由に自分も信仰していると。

彼と僕は腹をわって話す仲の良さなので、彼も僕の勧誘を断るにせよ、言葉を選んで差しさわりのない断り方を選ぶだろう、と僕は思った。

しかし、僕もひるまず彼に仏教を勧めると、彼は臭い顔を示した。そして彼は彼の宗教の教義を話し出したが、その教義を聞いて僕は悲しかった。

つまり、世間の常識論からかけ離れた理論が展開されたからだ。

まず、教義を言うにせよ、理論が世間の常識と則わないとまず話は聞くことができないし納得もできない。

次に大切なのは実践の結果である【体験談】が大切だ。だから僕は彼から彼の宗教の体験談を聞いた。

まず言っておくが、体験談というのは、本当にその宗教を実践して幸福になる軌道に入れるのかが問題だが、彼の言った体験談は・・・・

神秘的な奇跡体験談だった。

話の内容は、彼が寮に来る前に住んでいた元地元で、一か月の間に高校時代の友達と地元で10人会った、という内容だった。

彼が前に住んでいた地元は、東京都の日野市。彼の通っていた当時の高校は東京の板橋区の私立の高校と、僕は聞いているが、つまり日野市で板橋区の高校の友達と10人会った事を体験として僕に言ったわけだが、僕に言わせれば【だから何・・・】という感じだ。

僕が聴きたいのは、その教義を実践して、どれだけ幸福、つまり生活等が向上したか、を訊きたいのであって、一か月のうちに遠く離れた高校時代の友達と会った話などそんなものは幸福への体験談でも何でもない。

この時点で、悲しいかな勉強は出来ても、宗教の認識と判断はすでに間違っていると申し上げたい。

あと、こういう奇跡体験も言った。この内容は、科学が進んでいる現代では、悲しい話の体験だ。

彼は、【雲を手でつかんだら身体が宙に浮いた・・・】と言ってきた。

僕は悲しかった。

僕は彼に言いたかった。『じゃ、宙に浮くのを実際に見せて・・・』と。

観る前から分かることだが、身体が宙に浮いたらマジシャンか化け物だ。

そんな話は、今の小学一年生にも通用しない話だ。

世間の常識で、そんな話など通用するはずがない。

だから僕は思った。勉強はできても宗教には迷っていると。

宗教というのは、人生の羅針盤である。宗教をやることによって、その人の人生の良し悪し、つまり、幸福、不幸が決まってしまう。

雲をつかんで身体が宙に浮くような宗教の実践で人間の人生の何が幸福になるというのだろうか・・・・僕は考えただけで悲しかった。

僕は知っている範囲であったが、彼の宗教の教義で世間が問題にしている事を2,3質問してみた。

つまり、彼の宗教が医学的な治療に関して【否定】している内容を一歩深く突っ込んで訊いてみた。

彼の返答は、悲しかった。本人の回答も曖昧な内容のものだった。

この段階ですぐ判明することだが、質問にちゃんと答えられない、という事は、彼は教義を勉強していないか、それともちゃんと信心してないかのどちらかだ。

この認識に確信が持てるのだが、彼は非常に頭が良く、理屈が通らないことは受け入れられない性格の彼なので、世間でも有名な彼の宗教団体側の否定論の話もまともに返答できない、ということは、本気になって自身も信心していない、ということになるだろうと思う。

まず、彼は宗教そのものを理解していないのもよく解る。

あと、宗教にも【正しい宗教】と【正しくない宗教】そして、教義も【低い教え】と【高い教え】があることも、この段階で理解していないことがよく解る。

僕は悲しかった。なので、宗教の話題は30分で終了した。

今後も僕の【力ある正しい宗教】を彼に長きに渡って勧めていくが、大切なのは、彼との交流は、【法】としての付き合いでなく、【人間】として今後も付き合うつもりだ。

正直な話、僕の宗教を勧誘したことによって、少し友人としての仲に溝ができたのでしばらくはそっとしとこうと思う。

低級な宗教ほど、人を不幸にすると僕は申し上げて本日のブログを終了したい。

今回も僕のブログを最後まで読んでくれてありがとうございました。

このブログ観覧するすべての方々の幸せを祈りつつ・・・・。

By 題刻堂

Follow me!

コメントを残す

Translate »
Top
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。
ツールバーへスキップ